新年あけましておめでとうございます

皆様の「安全」「安心」「幸せ」を、皆様とともに追い求めていく事を仕事と出来る喜び

健康で、日々働けることの感謝

元旦は久々にゆっくりとした時間を過ごし、ふとそのような事を思いました。

今年も、少しでも皆様方のお役にたてる仕事をしていきたいと心から願っております。

 

さて、子供のころ父親からこんな話を聞いた事があります。

「人が嫌がる仕事をしたらたくさんお金がもらえるよ」  需要と供給の話??

人が嫌がる仕事? 人それぞれだと思いますが、学生の頃魚市場で朝6時から8時までしたアルバイトは当時のバイト代としては高額でした。朝早い事 それも11月ぐらいでしたので通勤も寒いし(交通手段は原付50ccのバイク)、仕事中も寒い。ジーンズを上下着てましたが、魚の匂いが染みついてなかなか取れなかった事を覚えています。

魚市場のアルバイトは確かに寒かったりつらい事も有りましたが、朝から威勢のある元気な声 働く人々の真剣な姿に接することが出来てとても仕事の醍醐味を感じることが出来、私にとってはとても貴重な経験でした。

さて、私が社会人として初めて務めた会社を退社する時、(その時は当時の同和火災海上保険株式会社に勤めることが決まっていました)損害保険代理店に勤める私の担当者から言われた事をよく覚えています。「永田さんこれから大変な業界に行かれるんですね。僕は出来れば違う仕事をしたいと願ってるんですよ。」そんなに保険会社って大変なのかなと少し不安になった事を覚えています。当時よく聞く話としては「事故処理」が大変だ。営業ノルマが有るよ。長く続かない人が多いみたいよ。等々でしたが、一言で「保険」と言っても私みたいに保険会社の正社員として勤める場合、(営業社員として担当代理店の指導・育成・教育に当たるのが主な業務)保険会社の研修社員(実際に契約を採る営業に従事する)損害サービスセンター勤務(事故処理担当)というように様々です。

実際、同和火災海上保険(株)大分支店に配属されてからは営業社員として40店ぐらいの保険代理店(プロの専業代理店 整備工場経営されてる兼業の代理店 等)を担当させていただき、代理店が採ってくれる契約が私の成績となる事も有り、代理店さんの後方部隊?として代理店支援に明け暮れました。営業と名の付く職種はおそらくどの仕事でも営業成績が問われ厳しい上司からの指導を日々受けつつ叱責に耐えながら頑張る類のものなのでしょうか?精神的にはかなりつらいものがありました。それから12年と3カ月保険会社に勤務した後(最後の4年間は損害保険の専任者として日本生命保険相互会社大分支社に机を置き勤務)担当したことのある代理店(有限会社奥さま新聞社 代理店名「おおいた代理店」の店主である田原一人(弊社の故 田原会長)に声を掛けていただき、後継者として新たな保険代理店を2人で立ち上げました。(有)TN保険ひろば(最初の会社名は(有)おおいたテイーエヌ総合保険)の誕生です。思い起こせばあれから12年9か月の月日が流れました。その間に、8店の代理店と合併を行い現在の姿に成る事が出来ました。

保険会社の営業社員経験、保険業界以外の業界(大分の鶴崎海陸運輸株式会社で最後は通関士をしてました)に勤務した経験がどれほど今の仕事に役立っているかは言うまでも有りません。鶴崎海陸運輸での三交代の現場仕事の身体的つらさ、保険会社営業社員時代の精神的つらさを思えば、一番やりがいのある仕事をさせていただく中で経営者としての普通の試練は有りますが感謝の日々を送れています。保険代理店の仕事が果たして「人の嫌がる仕事」なのかどうかは一概には言えないと思います。でも私にとってはやりがいのある自分にある意味ぴったりの仕事だと思えます。お正月一日ゆっくりさせていただき、つれづれなるままに書かせていただきましたが、思うことは、自分の仕事が好きだからこそ、お役に立てると信じているからこそ、懸命に仕事に取り組めるのだということです。

日々の仕事を通じてお客様から様々な事を教えていただいたり、経験を語ってもらったり(たまにはお叱りもいただきますが)することに感謝しつつ、これからも皆様のお役に少しでもたてる事を願ってこの一年こころ新たに社員一同頑張っていく所存でございます。

皆様のご健康 お幸せを祈念して新年のご挨拶とさせていただきます。

代表取締役 永田 哲朗